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Infinity16 - インフィニティシックスティーン

インフィニティシックスティーン

 

TELA-Cが初めて”REGGAEのSOUND”というものを知ったのは、中学生の時に同級生から借りた1本のカセットテープがきっかけだった。当時、”REGGAEといえばBOB MARLEY”という認識の中、レコードを回しMCを入れて盛り上げるSOUNDというものをそのテープで知り、大きな衝撃を受けた。それからREGGAEのDANCEやEVENTに遊びに行くようになり、さらにターンテーブルとミキサーを手に入れ、レコード屋に通いだすようになる。そして、今度は自分がREGGAEを回すようになっていった。
人前でやる事が多くなり、本格的に名前を決めて自分でSOUNDをやろうと決心し、1994年に横浜で”INFINITY16”を結成する。それと同時に、当時カセットで聞いた本場JAMAICAのSOUNDを生で感じたいと思い、同年に単身JAMAICAへ初めて渡る。そして音楽や文化、沢山の人々と交流し、本物のSOUND、そしてJAMAICAを実際に肌で感じ大きな影響を受ける。初めて”DUB PLATE”を手に入れたのもこの時だった。

1ヶ月の滞在を経て、そこで得た経験を持ち帰り、日本での活動を再開する。それからまた日本とJAMAICAを往復するうち、JAMAICAでの長期滞在を求め、準備を始める。そして1998年、JAMAICAへ旅立つ。JAMAICAでしばらく滞在し、さらにはNEW YORKのREGGAEシーンからも影響を受けて、JAMAICAとNEW YORKを往復し、約4年間の滞在を経て、2002年に日本に帰国する。
日本での活動を本格的に再開すると、今までの経験と知識が実を結び、活躍の場が多くなっていった。この時期、INFINITY16が著しく大きくなった。さらに当時のINFINITY16のメンバーが、そのスピードを加速させていった。そのメンバーが現在ARTISTとして活躍している”GOKI”と”湘南乃風”である。彼らはINFINITY16を結成する前から仲間であり、音楽以外でも色んな事を一緒に経験して来た”十代からのツレ”という事が何より深い絆を結んでいる。
TELA-Cの帰国直後、自身が主宰するDANCEをはじめ、国内のBIG DANCEやSOUND CLASH、海外ARTISTとの共演や夏の野外フェスティバルにも多数呼ばれ、そのアグレッシブなSTYLEの練度を増していく。そして2004年の12月には川崎CLUB CITTA’で『10TH ANNIVERSARY』を開催し、さらに同年、国内SOUND CLASHでのNO.1を獲得する。2005年には自身のSOUND SYSTEMが完成し、全国21ヶ所に及ぶ『REAL WARRIORS TOUR』を敢行。2006年12月には『12TH ANNIVERSARY』を敢行し、川崎CLUB CITTA’史上最高動員数を記録し大成功を遂げた。
そして2007年3月、NEW YORKで行われた世界NO.1を決めるSOUND CLASHに日本代表として出場し、AWAYの中で見事優勝を果たし、遂に世界に名を知らしめる事になる。同年4月に国内で、UNIVERSAL MUSICと契約を結び、INFINITY16の初プロデュース・シングル”DREAM LOVER”をリリース。湘南乃風、MINMI、MOOMINといった、REGGAEシーンのみならず日本の音楽シーンでも重要な位置を占める豪華ARTIST達が集結し、REGGAE SOUNDとしてORICON WEEKLY CHARTで第10位を獲得する。REGGAE SOUNDの初登場TOP10入りは史上初の快挙であり、SOUNDの新たな可能性を生み出す事に成功した。さらに、”真夏のオリオン”、”ジェラシー”、”DREAM BELIEVER”、”線香花火”、”侍ノ詩”、”伝えたい事がこんなあるのに”、”真冬のオリオン”、”DYNAMITE”、数えきれない程のHIT曲を生み出して来た。
そして2010年、”十六周年日本武道館”を決行。REGGAEのARTISTを含めSOUNDとして、日本武道館でREGGAEのEVENTをした事は日本音楽史上初であり、見事大成功させその歴史に名を刻んだ。その結果はREGGAEの可能性をさらに大きなモノへと押し広げるだろう。
INFINITY16は普通の物差しでは計れない、我々の想像を遥かに超える無限大の可能性を秘めている。
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